JAC幼児教育研究所

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あれっ?ママ と ボクって?

2014年7月 7日 00:00

2才児の気づき、試練。・・・その時母は


 7月で2才5ヶ月になったタロウくん。
 愉快そうによく笑い、最近は言葉も増えお話も上手になって、お教室で習った歌を家でも身振りをつけながら大きな声で歌うので お父様もお母様も毎日楽しみにしていらっしゃるそうです。「ジャックの日」には水色のリュックを早々と背負い、お母さまのお支度が待ちきれない様子でした。

 さて、夏休みも近づいたある朝のことです。
 タロウくんはいつもと違い、お母さまにべったりとくっついて離れようとしません。その日は「ジャックの日」でしたのでお母さまは外出の身支度を始めたのですが、タロウくんは後にくっついて歩き、いちいち真似をします。お母さまが鏡台の前に座り髪を整えると、自分も隣にチョコンと坐ってブラシを使い、お母さまが口紅を塗ると、タロウくんもリップクリームを塗る始末。バッグの中をチェックしているお母さまの横で、タロウくんは自分のリュックではなく、お母さまのバッグを一緒になって覗き込んでいます。

 それでも、一緒のお出かけは楽しいらしく無事ジャックへ到着です。
 ところが、いつもなら一人でできる靴の履き替えなのに、
「ママと一緒にやるの」「ママ、手をつないでいてね」と言い、大好きな先生のお迎えにも「いや、ママ、ここにいて!」とお母さまと離れようとしません。
 
いつもの様に、「さぁ、いっていらっしゃい、あとでお迎えにきますからね。先生、よろしくお願い致します」と、お母さまがドアの方へ歩き始めたその途端、「ママ!行かないで、ここにいて!ママ、ママ・・・!」。その日のお母さまとの別れは、まるでもう二度と会えなくなるかのような悲壮な有様でした。

 ベテランの担任の先生は、タロウくんの体調を注意深く観察しつつも、(よく言われる幼児の予知能力で、お母さまに第二子の懐妊を察知したのでは?)などとあれこれ考えながらタロウくんの保育に携わっていたのですが、その日は間もなく泣きやみ、元気良くお友だちと遊び、歌を唄い、お弁当も完食でしたので、ひとまず安心しました。
 ところが、こうしたタロウくんの生活行動は次の週も、その次の週も続きましたので、お母さまは秋の幼稚園受験のことも考えられ、私のところへ相談に来られたのです。

 それまでのタロウくんの様子を伺いながら、これはいよいよ『その時』が到来したのでは?と、私には気づくことがありました。

 2歳頃までの乳幼児は、身体的には母親と離れ、別の固体として活動を始めてはいるものの、精神的には母親と一心同体の感覚が続いていて、別々の存在とは気がついていません。ですから、安定・安心の世界に住んでいられるのです。

 ところが、ある日、ある時から、おぼろげながら、「母」と「子」という別々な存在であることに、気づき始めます。「あれ?ママとボクって、もしかすると別々なの?」と、いった感覚でしょうか。すると、先程のタロウくんのようにお母さまと同化したい、お母さまと一つになりたいという気持ちが生まれ、無性に後追いや真似するような仕草をしてしまうのです。母体から分離された自分に気づくのですから、2才すぎの幼児にとっては、大きな試練の体験とも言えましょう。生まれて初めて気づく、「一人ぽっち」の感覚です。

 タロウくんのお母様に、このところのタロウくんの生活行動が、発達成長の一つの段階として気づきの時期に来たことの証であることをお伝えしますと、お母さまは目にうっすら涙を浮かべ、「あんなに幼い子にも、生きて行く上で乗り越えなければならない試練があるのですね。この様なところを通って私の手元から一歩一歩自立して行くのかと思うと、ますますタロウがいじらしく、いとおしく思えてきました。母親として、あの子の自立をしっかり手助けしてやりたいと思います。私はタロウによって、真の母親になるよう育てられているように思います。」と、しみじみとおっしゃいました。そのお顔に現れた子育てをする母親としての自覚と、慈悲深い眼(まなざし)が、私には仰々しくさえ映りました。聖なる母の様に。

 

 目良 紀佐子 (成城・調布教室)

 

 

キーワード:育児